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プロジェクトストーリー

レジデンシャル ノイエ 駒沢

レジデンシャル ノイエ 駒沢

所在地
東京都世田谷区駒沢2丁目
販売戸数
11邸
竣工
平成26年3月

“ワンランク上の上質な戸建”

常に「家族の気配」を感じられる、リビング中心の暮らし。

「レジデンシャル ノイエ 駒沢」は生活利便性の高さに加えて、閑静な居住環境や充実した教育施設など好条件が揃っていることから「子育て最適地」と捉え、設計するにあたってまず11区画を3ブロックに分け、それぞれのテイストを変えて「街並み」を醸成したうえで、家族が集う場所「リビング中心の生活」を実現することを目指しました。

リビングとつながる和室や洋室を設け、LDが見渡せるようオープンタイプのキッチンを採用、また他階の個室もリビング階段などを設けることで、常に「家族の気配を感じられる」ように工夫しました。

永くお住まいいただけるよう、ライフステージの変化に合わせて居室の間仕切りをリフォームして1室にできるような寝室も設けています。


駒沢の地名の由来

真中-駒沢間 1969年(画面奥が真中・渋谷方面) 真中-駒沢間 1969年
(画面奥が真中・渋谷方面)

駒沢という地名は1889年(明治22年)に町村制施行に伴い荏原郡の6村が合併し駒沢村となった際に馬(=駒)と野沢・深沢の沢を合わせて名付けられた。

東京五輪当時、駒沢への交通は渋谷と二子玉川園をつなぐ路面電車・東急玉川線(通称玉電)と路線バスのみであった。

その後玉電は同44年に廃止。同52年渋谷駅から二子玉川駅までの区間は玉川線を継承する代替路線として地下路線・「新玉川線」が建設された。

翌53年に半蔵門線と直通運転を開始。渋谷、青山、大手町へと直結することで飛躍的に利便性が向上し、住宅地として人気に拍車がかかり沿線の人口は拡大していった。

玉川戦、新玉川線、田園都市線沿線の住宅地は、交通利便性と沿線開発による優れた居住環境で憧れとなっている。

※参考資料:「東京都住居表示に関する資料」『世田谷区史』『世田谷の地名』など。
※写真出典:「世田谷区立郷土資料館」