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プロジェクトストーリー

レジデンシャル中野坂上

レジデンシャル中野坂上

所在地
東京都中野区中央1丁目
販売戸数
60戸
竣工
平成25年6月

“四季潤う、都心邸宅”

地域に密着し、貢献する役割を担うマンションとして

株式会社ワールドレジデンシャル
商品企画課 課長
佐藤 孝雄

レジデンシャル中野坂上に最初に関わったのは2011年です。
土地の契約日は忘れもしない3月11日。まさに東日本大震災当日の午前中でした。

元々のコンセプトでもあった地域に密着・貢献する役割を、この物件はより大きく課せられることになりました。

防災用備品の常備はもちろん、防災井戸を敷地内に設けて緊急時には飲用水として利用可能。マンション前面に大きく確保した共有スペースは、お祭りや朝のラジオ体操といった地域イベントに公開されています。また、元は狭かった道路を、お年寄りやお子様も安心して歩いていただけるよう広く拡張しました。

都心に近いにも関わらず川や緑道などの自然に恵まれ、かつ低層住宅が多いので陽当りが充分に確保できるなど、非常に優れた住環境を活かして、このエリアでは珍しいファミリー向けの永住マンションに仕上がっていると思います。

できる限り永くお住まいいただけることを願っています。


「中野」の地名の由来

中世以来の中野郷(武蔵野の真ん中にある郷の意)に由来しています。 熊野那智大社の古文書、貞治(じょうじ)元年(1362)『武蔵国願文(むさしのくにねがいぶみ)』に初見され、応永二十七年(1420)の『江戸氏庶流書立(えどししょうりゅうかきたて)』には「中野殿・阿佐谷殿」が見えます。

出典:「昭和26年発行コンサイス東京区分地図」

「武蔵野の中なるゆゑ中野といふ。」
「武蔵野の中なるゆゑ中野といふ。往古はこの武蔵野も上野・中野・末野といふあり。」と『求涼雑記』にはあります。別には善福寺川と妙正寺川の中の郷の意でもあるとか。
慶長のころ江戸幕府により郷を分解して中野諸村が起立、その諸村の一つが中野村。
伝説によれば天慶二年(939)に「中野の原」で平将門(たいらのまさかど)の弟、将頼(まさより)が討ち死にしたという。
出典:「昭和26年発行コンサイス東京区分地図」