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プロジェクトストーリー

レジデンシャル池上

レジデンシャル池上

所在地
東京都大田区池上6丁目
販売戸数
34戸
竣工
平成30年3月

“街の風景を大切に”

流行にとらわれずに、暮らす人の住みやすさを重視。

株式会社ワールドレジデンシャル
技術監理部技術監理課
影山 麗

初めて池上を訪れた時、自転車で通り過ぎるおじいちゃんの姿を見て「ゆっくりと時間が過ぎる町」と言うイメージがうかびました。

静かで落ち着いた街で住みやすそうだなあと感じたのが第一印象です。その印象をモチーフに閑静な街並みに溶け込みつつ、存在感のある建物をつくろうと思いました。

計画地は地形の良い整形地で、すぐに建物のイメージを思い描くことができました。

全体としては、程よい広さ、収納の充実など暮らす人たちの住みやすさを重視。エントランスは柔らかな曲線の壁と車寄せなどで、物件の顔となるようにしつらえて迎賓の空間としました。さらに、全て平置き式のサイクルポートや全戸の防災備蓄倉庫を設置して使い勝手にも配慮しました。また落ち着いた街並みに馴染む色合いになるように工夫しました。

計画から設計、積算、施工現場の仕事までできたレジデンシャル池上は、すごく面白くてやりがいがありました。

関係者向けの竣工お披露目会において「今までのレジデンシャルシリーズで一番好き」という声を耳にしました。レジデンシャル池上で心がけてきた「流行にとらわれずに、暮らす人の住みやすさを重視」した努力が報われたのかなと誇りに思っています。


「池上」の地名の由来

池上は中世まで、荏原郡の千束郷に属し、池上村と呼ばれていました。江戸時代、徳川家康が池上村の東南の地域を本門寺に寄進し、その門前町である池上村も将軍ゆかりの土地として栄えました。

往時の洗足池(千束池)は広大で上池上の下辺りまであったので村名にしたという『新編武蔵風土記』の記事に対して、『池上町史』では池を領した藤原祐忠が、池上を姓として高台に住んだことから村名は起きたとしています。

江戸近郊八景之内「池上晩鐘」歌川広重 出典:国立国会図書館

池上本門寺
日蓮宗本門寺派の総本山。日蓮聖人入滅の霊場として日蓮宗の14霊蹟寺院、7大本山の一つに数えられています。慶長13年に建立された五重塔は空襲による焼失をまぬがれた貴重な古建築の一つで、徳川秀忠の乳母である岡部局の発願。関東最古の五重塔で、国の重要文化財に指定されています。
江戸近郊八景之内「池上晩鐘」歌川広重 出典:国立国会図書館

出典:「鎌倉街道 III 実地調査・史跡編」蜂矢 敬啓 有峰書店

歴史に彩られる要衝の地
池上通りと並行して通る旧池上道には「いにしへの東海道」と刻まれた碑が設置され『此の道は時代により奥州街道、相州鎌倉街道、平間街道、池上往還などと呼ばれていた古道です。』と書かれています。この古道は神話の英雄である日本武尊の東夷征伐、源頼義・義家親子あるいは源頼朝の奥州征伐の記述に登場し、古代からこの一帯が交通要衝の地であったことを今に伝えています。
出典:「鎌倉街道 III 実地調査・史跡編」蜂矢 敬啓 有峰書店